映画『ラジオ・コバニ』

渋谷アップリンクにて映画『ラジオ・コバニ』観てきました。
出典:公式サイト


【作品詳細】
イスラム国(IS)との戦闘により瓦礫と化したシリア北部の街コバニで手作りのラジオ局を立ち上げた大学生たちの姿を中心に、復興を目指すコバニの人々に降りかかった激動の3年間を追ったドキュメンタリー。トルコとの国境に近いシリア北部に位置するクルド人街コバニ。2014年9月から過激派組織・イスラム国の占領下となったコバニはクルド人民防衛隊(YPG)と連合軍の支援により、15年1月に解放された。しかし、コバニは数カ月にわたる戦闘により街の大半が瓦礫と化してしまった。そんな中、友人とラジオ局を立ち上げた大学生のディロバンは、ラジオ番組「おはようコバニ」をスタートさせる。番組では生き残った人々、戦士、詩人などの声が放送され、街を再建して未来を築こうとする人々に彼女の番組が希望と連帯感をもたらしていく。監督は自身もクルド人のラベー・ドスキー。
引用:映画.com
予告編(reference:YouTube)



IS(イスラム国)に占拠され瓦礫の街と化したシリア・コバニから聴こえてくるラジオは平和な国のラジオから聴こえてくるものとは何もかもが違う。
スタジオ、設備、電気の供給、何もかもが乏しいコバニのラジオから聴こえてくるのは“希望と絶望”。
「おはようございます」とゆう挨拶、地元ミュージシャンの音楽に希望が溢れる一方、瓦礫の中から出てくる遺体、どこかで起きた爆撃情報など、まだ「本当の意味での平和は訪れていない」とゆう現実が突きつけられる。
それでもラジオからは希望が流れ、街にもその希望の光が照らされる。

“自分の街や家族、思い出を人は理由もなく捨てません”


“わが子へ、コバニに入る時は思い出して。この地は私の友達の血で覆われています”


劇中で語られる言葉。
自分の街や家族、思い出を理由もなく“捨てざるえなかった”人たちが多くの友達の血で覆われた街から送るラジオ。
そこに日常に根ざすメディアとしてのラジオの本当の意義がある気がしました。

『後悔と反省の狭間で』

なんとなく思ったことを、ただなんとなく書いています。映画や舞台が好きなのでそのあたりの記事が多めになります。

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